レコードは良いですよ
レコードの何がいいのか。CDと比べて大きいし、傷もすぐついてしまう。
最近は、Apple Music や Spotify などなど、メディアがなくても音楽を楽しめる時代です。
便利さに関してはレコードを聴く意味は皆無です。
しかし、私はレコードを強く勧めます。なぜかというと、出会いがあるからです。
例えば、何か目当てのアーティストや楽曲を決めておき、中古のレコードショップにいきます。(東京ならディスクユニオンへどうぞ)
お店で探しても、目当てのものがあることは少ないです。
でもそうすると何か買って帰りたくなるのが人間ってもんです。
安めの、聞いたことあるようなないような曲やアーティストのを適当に買って帰ります。
帰って聴いてみると、なぜかそれにハマったりするんです。
どうして知りもしない目当てでもない音楽を好きになるのかと自分なりに考えてみました。
尊敬する人が勧めた音楽は好きになりますよね。恋人のお気に入りの音楽が自分のお気に入りになることもありますよね。
でもそれ以外の場合、勧められても聴かないときだってあります。このことから、その音楽を好きになって良い理由が欲しいのだと私は考えました。
それで今回のレコードですが、適当にレコードを買って聴いたら案外よかった、つまり「発掘した」、という出会いのストーリーがその音楽を好きになっていいという理由や根拠になるんだと思います。
本来なら、いい物はいい、悪いものは悪いんでしょうが、意外と人間は(私は)「どういう経緯(ストーリー)でそれと出会うか」が非常に大事だとなんだと考えます。
(CDやApple Music, Spotifyは目当ての曲が見つかってしまいます。私はApple Musicも愛用 笑)
レコードを聴くことで全く知らない世界を知ることができるかもしれませんよ!
終わり
アランの幸福論から学ぶ、不機嫌の罪
幸福論で有名なアランは、不機嫌は良いものではないと語っています。
不機嫌はその人だけでなくその人の周り、その人に接する全ての人に影響を与えます。
不機嫌は不機嫌を連鎖させてしまうのです。
誰でも不機嫌な時ってあると思いますし、そう感じるのだからしょうがないではないかと言うかもしれません。しかし、考えてみると、一緒に住んでいる人やパートナー、友人、また通りすがりの人が不機嫌であったり、舌打ちなんかしようものならたちまち嫌な気分になります。他人ならまだしも、一日の多くを一緒に過ごす家族がそうであったら穏やかではないです。
世の中、不機嫌な人は山ほどいます。それがどれだけ罪なことか、それが自分だけで完結しないということが分かっていないのです(過去に私もそうでしたけど)
外ではそうでなくても家族に対して不機嫌な人は多いでしょう。それも間違っています。家族に対してだって狎れて不機嫌ではいけないはずです。なぜなら、結局最後には自分に帰ってきてしまうからです。家族の気分が悪くなれば嫌なことを言われたり、自分の気分もより悪くなるスパイラルに落ちます。
でもその逆で、機嫌の良い人は他人に元気を与えるということですよね。そうするとその機嫌の良い人はより気分がよくなりますよね。そういう人でいっぱいの日本を想像するとなんて素晴らしいんでしょうか!
無理に明るく振る舞うのは疲れますが、これはそういうことではないと思います。無理やりではなく、”不機嫌は無意味”と捉えればいいと思います。意味があろうが意味がなかろうが、何をするにも多少の体力を消耗します。だったら無意味な行動はしないほうがトクです。
私は「100分で名著」というTV番組でアランの幸福論を知り、その後本を買って読み、反省しました。私も不機嫌な人間でしたから。今では不機嫌な態度が99%減りました。
また、「マザーウォーター」という映画で、おばあさん(もたいまさこ)が悩める若いおにいちゃん(永山絢斗)に「今日も機嫌よくやんなさいよ」と、いってらっしゃいの代わりのごとく言っていたのを思い出しました。あのセリフの意味が理解できました。
これからも機嫌よくやっていきます。
皆さんの生活に少しでもプラスになったら幸いです。
ありがとうございました。
終わり
アダムスミスの幸福
幸福について説いた人物はなくたくさんいます。
幸福論で有名どころは、アランやラッセル、ここ最近ブームの嫌われる勇気のアドラーなんかもそれの一つだと思います。全てとても良い内容でした。
実は、神の見えざる手でお馴染みのアダムスミスも
ポロっと幸せについて話しているんです。
彼は、
負債がなく
健康で
心にやましいところがない
ことが幸福だと、道徳情操論で語っています。
納得です。
借金や多額のカードの支払いががあれば月末に心穏やかにはいられませんし
不健康であればセロトニンもドーパミンもスムーズに分泌されないでしょうし
他人を陥れようとか恨みや怒りがあれば平穏ではありませんし、このような状態で幸せを感じるのって難しいですよね。
私はそれら全てに経験があります。。。
カードの支払いやリボ払い、不摂生、他人を陥れようと思ったことはなくても強い恨みや怒りを自分にも他人にも感じたり。
私は、このアダムスミスの言う幸福に倣って気を付けながら生活してきました。
クレジットカードは一切使わずデビットカードに切り替え今あるお金だけで生活したり
深酒せず、バランスを考えた食事や運動することを意識したり
無意味な感情をさらっと受け流したり です。
これらの効果は間違いなくありました。以前は理由もなく不幸せでしたから。
今では幸福に向かって歩き始めている感覚です。
前に進んでいる感覚っていいですね。
これって凄く基本的な部分で幸福を目指していますよね。
言ってしまえば、当たり前のことです。誰もが想像できるレベルの話です。
しかし、この当たり前が意外と私は出来ていなかったのです。
幸せへのアプローチは様々ですが、この土台を作ることがまず重要なんですね。
読んでいただきありがとうございました。
終わり