アランの幸福論から学ぶ、不機嫌の罪

幸福論で有名なアランは、不機嫌は良いものではないと語っています。

 

不機嫌はその人だけでなくその人の周り、その人に接する全ての人に影響を与えます。

 

不機嫌は不機嫌を連鎖させてしまうのです。

 

誰でも不機嫌な時ってあると思いますし、そう感じるのだからしょうがないではないかと言うかもしれません。しかし、考えてみると、一緒に住んでいる人やパートナー、友人、また通りすがりの人が不機嫌であったり、舌打ちなんかしようものならたちまち嫌な気分になります。他人ならまだしも、一日の多くを一緒に過ごす家族がそうであったら穏やかではないです。

 

世の中、不機嫌な人は山ほどいます。それがどれだけ罪なことか、それが自分だけで完結しないということが分かっていないのです(過去に私もそうでしたけど)

 

外ではそうでなくても家族に対して不機嫌な人は多いでしょう。それも間違っています。家族に対してだって狎れて不機嫌ではいけないはずです。なぜなら、結局最後には自分に帰ってきてしまうからです。家族の気分が悪くなれば嫌なことを言われたり、自分の気分もより悪くなるスパイラルに落ちます。

 

でもその逆で、機嫌の良い人は他人に元気を与えるということですよね。そうするとその機嫌の良い人はより気分がよくなりますよね。そういう人でいっぱいの日本を想像するとなんて素晴らしいんでしょうか!

 

無理に明るく振る舞うのは疲れますが、これはそういうことではないと思います。無理やりではなく、”不機嫌は無意味”と捉えればいいと思います。意味があろうが意味がなかろうが、何をするにも多少の体力を消耗します。だったら無意味な行動はしないほうがトクです。

 

私は「100分で名著」というTV番組でアランの幸福論を知り、その後本を買って読み、反省しました。私も不機嫌な人間でしたから。今では不機嫌な態度が99%減りました。

また、「マザーウォーター」という映画で、おばあさん(もたいまさこ)が悩める若いおにいちゃん(永山絢斗)に「今日も機嫌よくやんなさいよ」と、いってらっしゃいの代わりのごとく言っていたのを思い出しました。あのセリフの意味が理解できました。

 

 

 

これからも機嫌よくやっていきます。

 

 

 

皆さんの生活に少しでもプラスになったら幸いです。

ありがとうございました。

 

終わり